2012年9月25日火曜日

声は人なり

以前は、電話で先にアポを取った相手と
実際に会うとよく言われたものだ。
「お電話ではもう少しベテランの方かと思っていました・・・」。

ドイツに行ったとき、ホテルの部屋間の内線電話では、
ツアーのメンバーからフロントのこわいおばちゃんに間違われた。
どうやら自分の話す声が低めなために、歳より上の年代と思われたらしい。

でもこれには訳がある。意識的に話す声のトーンを下げているのだ。
親戚一同、一族郎党、みな声のトーンが高めで聴きとりやすく
いわゆる「通る声」なのである。

そのせいか、親も親戚にも教師が多い。そしてこの「教師」という職業もまた
子どもたちと接するせいか、ますます声を高くする。
親戚中ソプラノとテノールだらけ。
年中どこかしらでキャンキャンした声が響き渡る。
女性陣はみんな子どものような地声。

そんな出自だから、新入社員のころよく上司に
「君は低めの声で話すように」と指摘された。
以来、なんとなく顎を引いて一呼吸してから話すようにしている。

「文(体)は人なり」というが、自分にとっては「声は人なり」だと思う。
電話の声でもその人の人柄や印象がだいたいわかる。
ソフトな声の持ち主は基本的に優しいし、明るくて元気な声からは
健康的で朗らかな表情が伝わってくる。

一方で、
いわゆる虫の好かない御仁の声は、それなりの品性を伺わせる。
著名人の好き嫌いの一因に「声」も一役買っている。

さて、名実ともにベテランになってしまった昨今、さすがに今より
年上に聞こえることはない。ならばせめて、若々しいハリのある声で
「声美人」を目指してみよう。



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