2011年10月24日月曜日

福に敬礼!

昨日、声楽一門の発表会が終わった。
成人を対象とした小スタジオでのコンサートは、
毎年、和気あいあいとしたもの。縁あって10数年のお付き合いになる。

この会の良い所は、高齢者が多いところ。
門下生のなかでは長老株の私も、年代順ではまだまだ“小娘”の領域にいる。
だから、入門以来ずっと雑用が続いている。

ギャラリーはおもに出演者の家族や友人たち。
喜寿のカルメン、ミミ、ドン・ホセ、アラ還のケルビーノ・・・。
楽屋では「あら、また太ったわ」と70代のお姉さま方が新調のドレスに
いそいそと袖を通し、メイクアップに余念がない。

そんな元気がこの会をささえている。
訪れる友人の多くは「パワーアップした!」と朗らかに帰っていく。
疲弊した現役世代には、良いカンフルだ♪
差し入れにいただいた「招き猫もなか」でさらにハッピー♪♪♪

<本日のカタチ> 招福もなか
  

2011年10月19日水曜日

林檎社電脳事始

IT界の革命児、スティーブ・ジョブ氏には自分も少なからずお世話になった。
そもそもコンピュータとの付き合いは、社会人1年生から始まったのだが、当時は
Apple製品が日本の職場で市民権を得る前の時代。
ワープロ、ファクスがようやくOA機器に登場し、原稿のやりとりが
ファクスでも失礼でなくなるのはまだ少し先で。

OLとよばれる女性たちが英文タイピングの腕を競い、
黒地に緑文字の英数字だけのモニタを必死に追っていたころ。
リアルタイムの電話通信ならメールの送受信が可能であり。
IBMのコンピュータが優勢を誇っていた。

そんなとき、あるプレスビューによばれた。
それは、新発売のAppleのノートPCだった。
ミニスカートのキャンペーンガールがスーツケースよろしく
軽々と持ち上げている白いPCは、ドレッサーのようにオシャレでまぶしかった。

それから5年もたたないうちに、Macはデスクにやってきた。
DTPという言葉が巷で闊歩し始め、アナログ編集長も自分のPCを
持つようになり、紙の版下と校正紙がどんどんモニタに吸い取られていった。

いま、壊れたApple社のPCに替り、仕事で使うのはライバル社のビジネスPC。
WEB環境は確かにスムーズだが、質実剛健という言葉が似合う
野武士のような武骨さをみるにつけ、
隅々までオシャレな遊び心一杯のMacが恋しいときもある。

2011年10月13日木曜日

絶滅危惧種①筆記体

中学生の英語のコーチを十数年ぶりに担当している。
それは姪の宿題から始まった。

21世紀の中学生がつかう教科書はどれも
A4判フルカラーの教科書、大きな文字、少ないテキスト、
リスニングや会話などの豊富な教材。
どれも自分たちの中学時代にはなかったものばかりだ。

大きく変化したのが、語彙数。一時期、約1800語とされた必修単語は
最近では約1300語までに整理されている。
IT時代になって、カタカナ語は増殖の一途にあり、
耳で覚えた外国語は数知れずといったところなのだが。

いっぽう、昔にあって今にないのが「筆記体」だ。
教科書によっては巻末にちょろっと1ページばかり載っているものもあるが、
ほとんどの教科書には記述がない。

文科省によれば10年ほど前から、筆記体は必修ではなくなったとか。
理由は、IT時代になり手書きの英語を読む機会が減っている現状からとか。
これには、少なからずカルチャーショックを受けた。
たしかに言われてみれば、その通りなのだが。
筆記体なら単語も憶えやすいのになあ、と考えるのは
アナログ時代の元中学生なのだろうか。

そして、相変わらず「英語嫌い」な子は絶滅というよりむしろ、増えている感じだ。

2011年10月12日水曜日

妄想MENU②そいつは、おめで鯛

たしか、江戸時代の「草子」ものだったかと記憶しているが、
高校の古文で習った、鯛にまつわる話が印象に残っている。

ある大店では、正月のごちそうに大きな鯛を一匹注文していた。
その鯛は、大旦那とその家族がいちばん良い部位を刺身にして食し、
番頭、手代と店での身分が下るごとに
食べられる鯛の部位も料理も下ることになっており、
最下の丁稚にも尻尾をつかった鯛のアラ汁が与えられた・・・云々、という内容だった。
この大鯛は、大相撲の優勝力士や恵比寿様がもっている
体長1メートル位の真鯛のことである。

しかしこの話をきいたとき、頭に浮かんだのは、我が家の食卓にしばしば登場する
小骨のがっしりした小鯛だった。
「えー、おろしたら食べにくいのに」と思わず漏らした私に、
同級生のK子が言った。

K子  「え? あんたんとこ、鯛は尾頭ごと食べるん?」
灯馬 「うん、そうだけど」
K子  「すごいな。まさか1人1匹じゃないよね」
灯馬 「うん。とにかく骨が多くてあんまり好きじゃないけど。
    こないだも残しておこられちゃったよ」
K子  「えー? すごいな。ウチなんか鯛なんてお正月もでないよ」
灯馬 「え、そう? 塩焼きだけどときどきでるよ」
K子  「えー? すごいな。普段から鯛食べてんの。すごいな」

さすがにここまで話すと、こりゃちょっと違う鯛の話ではないかと不安になった。
帰宅して母に話すと障子がびりびり破れるくらいに大笑い。
「ばかだね。それは真鯛。ウチで食べているのはこれ」と鮒のような小鯛を見せられた。

以来、実家で正月になるときまって登場する小噺だ。
たしかに、真鯛とくらべると体長20センチの小鯛は金魚みたいなものではある。

2011年10月7日金曜日

役に立たない学問

インタビューする側の礼儀として、いつも気をつけているのが、
学者・研究者に対しての「それ(研究分野)って何の役に立つのですか」という質問だ。

ノーベル賞受賞者が発表になる時期は、世界レベルで
「人類の福祉にもっとも具体的に貢献した」と評価される研究が注目を集める。
だが一般人にとっては、
物理・化学・医学生理学といった分野の研究は、
全くと言っていいほど普段の生活から縁遠いところに存在するもの。
専門用語だらけのニュースや記事に出合うと内容についていけず
「だからとどのつまり、なんの役に立つのだろう」と、生活との接点を探ろうとする。

かつて訪れた工業系研究室で、ついこの種の質問をしてしまい、
詳しい説明をいただいた最後に
「でも、われわれは成果を追求する工場ではありませんので」と念を押され、
失礼な質問をしたと反省した。

科学=サイエンスはまず理論ありきだ。
その理論は
「生産性がない⇒即、製品にならない⇒お金に結びつかない⇒役に立たない」
という俗人の欲からは遠い位置にある。
でも、俗人は手っ取り早く、身近な例で知りたがる。

では、その「知りたい」思いを抱えながら、なんと質問したらいいのだろうか。
そんなときは苦し紛れではあるが
「若いひとたちや子どもたちに伝えたいメッセージはありますか」と、
非常に漠然とした質問を投げてみる。
すると、ロマンチストよろしくの「名言」が返ってくるものだ。

2011年10月2日日曜日

妄想MENU①白玉の・・・

今年もようやく「灯火親しむ候」となった。
 この季節を代表する歌といえば、若山牧水の
「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」
 がよく知られる。
文法的解釈では、「白玉の」が「歯」と「酒」の枕詞、
「べかりけり」は、推量の助動詞「べし」の連用形(べかり)に
過去の助動詞「けり」の付いたものであるから、
大意は
「玉のように透き通った白い歯にしみとおるほど、
秋の夜に飲む清酒は、ひとり静かに飲むべきであった(ある)」
と、なるのだろうか。

しかし、自分は小学生のころ、
「白玉」は「白玉団子(月見団子)」だと思い込み、長い間、
「白玉団子が歯にしみるくらいの冷気ただよう秋の夜は
お酒もひとりで静かに飲むのが良い」と、
勝手に我流の解釈を温めていた。

秋と白玉団子(月見団子)を直結させるなんて、
まったく子どもの発想であり、
そもそも、毎日一升の酒を食らったがために、
肝硬変で早々に鬼籍に入った牧水の代表作なのだから
酒と「白玉団子」が同じ歌に出てくるわけがないのだが。

団子が歯にしみるのは、虫歯か知覚過敏か。
相当、団子に執着があったと思われる。