おお、なんてこと!
お宝の3枚組CDが崩壊してしまった。
23年ぶりの「マタイ受難曲」BWV244演奏に気を良くした矢先。
そういえば、シュライヤーのCDでも聞いてみようかと
ひさしぶりに開けたのが
指揮=カール・リヒター+ ミュンヘン・バッハ合唱団+
レーゲンスブルク少年合唱団+ ミュンヘン・バッハ管弦楽団+
福音史家=ぺーター・シュライヤー、イエス=フィッシャー・ディースカウ
ソプラノ=エディット・マティス
旧西ドイツ製最強レーベルのARCHIV。
だったのだが。
・・・やられました。
中敷きのスポンジの化学変化に。見事。
緩衝材として入れられていたスポンジに接触していたCD面が
劣化したスポンジとともに
見るも無残に解けてしまったのだ。
あわてて水洗いするも、透明になったCDの記録面を確認する
ばかり(CDってもともとプラスチックでできてるんだ。
・・・なんて、確認している場合じゃない)。
演奏自体は名盤の一つだろうから、おそらく復刻版が廉価で入手できると
思われるのだけれど。
Made in W.Germany の歴史的な刻印があるだけにもったいないし。
何より今の3倍以上の定価で購入した当時を思い出すと悔しさも倍増する。
それより、メサイアは? ヨハネ受難曲は? と不安な気持ちで
他の3枚組CDをおそるおそる開けてみると、他はなんとか無事だった。
もちろん入っていた中敷きスポンジはことごとく処分した。
あ~あ。
一番のお気に入りだけが受難だったのか。
と、いまやカラスよけにもならない透き通った3枚のプラスチックを
ケースにしまうしかない。
2012年7月17日火曜日
2012年7月6日金曜日
23年ぶりのBWV244♪
7月1日、すみだトリフォニーでBWV244を歌う。
実に23年ぶり、4回目のバッハ「マタイ受難曲」。
最初に「マタイ受難曲」を生で聴いたのは、東西冷戦期の1985年。
指揮ハンス・ヨアヒム・ロッチュ、ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団+
ゲヴァントハウス管弦楽団+福音史家ペーター・シュライヤーという
当時、もっとも正統派のキャスティングだった。
約3時間におよぶ大曲は、イエス・キリストの受難を
物語に沿って順次紹介していく。福音史家(福音書記家)マタイが
福音書を読み上げながら曲を進行させる。
それぞれの独唱者たちは、バッハが各所に埋め込んだ
叙唱(レシタティーボ)と詠唱(アリア)を担当し、
内省的な響きをつくりだす。
一方で、合唱はイエスの教えにつき従う人たち、観衆、
弟子、信者、群衆、兵士たちといった具体的な集合体を担当する。
バッハの初演から約100年を経て、メンデルスゾーンが再演したという
エピソードはあまりにも有名。たしかにこの曲を演奏するのは
かなりのエネルギーが必要だ。
管弦楽、合唱、独唱ともに二つのグループから構成され
オプションに少年合唱が入る大編成。
興行面でも相当覚悟しなければならない。
「ハレルヤ」という超有名な合唱曲があるヘンデルの「メサイア」に比べ
「マタイ受難曲」にはそんなふうに盛り上がる曲はない。
場面ごとに、調と歌詞に変化を持たせた受難コラールが何度も現れ
音源だけで聴いていると、かならずどこかで眠くなってしまう。
それでも一度はきちんと聴きたいと思い、バッハ生誕300年の記念に
聴きに行った。そして最も脂の乗っていたシュライヤーの語るような
ドイツ語にノックアウトされた。
以後、今度はどこかでこの曲を合唱団員として歌ってみようと思い、
団員募集中の団体へ加入し、数回の参加を果たした。
「マタイ受難曲」は、作曲家・武満徹が作曲をする前に
必ず聴いていたほど、好きな曲だった。また、亡くなる前日にも
FMで放送されていたこの曲を病床で聴いていたという。
終曲の合唱では、雪の日に1人ベッドでバッハを聴く作曲家の姿を
思い浮かべていた。
ほかにもこの曲には思い出がある。一度も娘(私)の演奏会に来たことのない
父が唯一聴きに来てくれたのが、23年前の「マタイ受難曲」演奏会だったのだ。
「受難」=「原罪」=「死」という重いテーマをかかえてはいるが、
そのさきには「復活」への希望の示唆もある。
そんなわけで、実は日本人の感性に意外と近い曲なのだ。
CD3枚分の演奏時間はたしかに長いが。
実に23年ぶり、4回目のバッハ「マタイ受難曲」。
最初に「マタイ受難曲」を生で聴いたのは、東西冷戦期の1985年。
指揮ハンス・ヨアヒム・ロッチュ、ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団+
ゲヴァントハウス管弦楽団+福音史家ペーター・シュライヤーという
当時、もっとも正統派のキャスティングだった。
約3時間におよぶ大曲は、イエス・キリストの受難を
物語に沿って順次紹介していく。福音史家(福音書記家)マタイが
福音書を読み上げながら曲を進行させる。
それぞれの独唱者たちは、バッハが各所に埋め込んだ
叙唱(レシタティーボ)と詠唱(アリア)を担当し、
内省的な響きをつくりだす。
一方で、合唱はイエスの教えにつき従う人たち、観衆、
弟子、信者、群衆、兵士たちといった具体的な集合体を担当する。
バッハの初演から約100年を経て、メンデルスゾーンが再演したという
エピソードはあまりにも有名。たしかにこの曲を演奏するのは
かなりのエネルギーが必要だ。
管弦楽、合唱、独唱ともに二つのグループから構成され
オプションに少年合唱が入る大編成。
興行面でも相当覚悟しなければならない。
「ハレルヤ」という超有名な合唱曲があるヘンデルの「メサイア」に比べ
「マタイ受難曲」にはそんなふうに盛り上がる曲はない。
場面ごとに、調と歌詞に変化を持たせた受難コラールが何度も現れ
音源だけで聴いていると、かならずどこかで眠くなってしまう。
それでも一度はきちんと聴きたいと思い、バッハ生誕300年の記念に
聴きに行った。そして最も脂の乗っていたシュライヤーの語るような
ドイツ語にノックアウトされた。
以後、今度はどこかでこの曲を合唱団員として歌ってみようと思い、
団員募集中の団体へ加入し、数回の参加を果たした。
「マタイ受難曲」は、作曲家・武満徹が作曲をする前に
必ず聴いていたほど、好きな曲だった。また、亡くなる前日にも
FMで放送されていたこの曲を病床で聴いていたという。
終曲の合唱では、雪の日に1人ベッドでバッハを聴く作曲家の姿を
思い浮かべていた。
ほかにもこの曲には思い出がある。一度も娘(私)の演奏会に来たことのない
父が唯一聴きに来てくれたのが、23年前の「マタイ受難曲」演奏会だったのだ。
「受難」=「原罪」=「死」という重いテーマをかかえてはいるが、
そのさきには「復活」への希望の示唆もある。
そんなわけで、実は日本人の感性に意外と近い曲なのだ。
CD3枚分の演奏時間はたしかに長いが。
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