9月22日、27日の2日にわたり、サントリーホールオペラ・アカデミー主催
「ジュゼッぺ・サッバティーニによる公開マスタークラス」を聴講できた。
サントリーホール・ブルーローズ(18時30分~)。
22日は、基礎テクニック編と称して、発声や体の使い方などを中心に。
27日は、楽曲解釈編。曲の内容や解釈まで踏み込んだレベルでの指導。
生徒は音楽大学大学院在学以上、オペラ研究生など、
各コンクールの入賞経験もありそうな才気あふれる新進気鋭の演奏家ばかり。
「どこが悪いの?」と思うくらい、ハイレベルなのだが、
ひとたび師匠のNGが入ると、一皮もふた皮もむけて垢ぬけた音色になる。
まるで小学生のリコーダーよろしく鳴っていた「楽器」が
某有名メーカーの音にグレードアップするかのよう。
テクニック重視の初日では、腹筋のささえと響きの場所のチェックがもれなく
入った。これは、歌うものにとっての共通課題というもの。自分の身体が
楽器であることの宿命でもある。
楽曲解釈編では、歌詞を細かく分析して、男女の機微を効果的に表現する。
ときどき艶っぽいジョークを交えながらリードするサッバティーニ氏。
これがホントのセクシーといふものじゃ!
愛の神、アモルがステージのあっちこっちで飛び回っているではないか。
失礼ながら、いつもこの調子でプライベートでもご指南されるのだろうか、
と余計な妄想をしてしまう。
イタリアというお国柄、さすがに「愛」の歌は本場だ。無粋なゲルマンの
男たちにはわかるまい。新橋あたりのオヤジたちも然り、とひとり独善的・
差別的に納得。
芸術の表現力はテクニックだけでは、なかなかカバーできないものだと実感した。
しかし、生徒のみなさんはじつにすばらしかった。かれらの未来に乾杯!
次は、是非、劇場でお会いしたい。
2011年9月29日木曜日
2011年9月26日月曜日
当世古書事情①里親気分で
たとえどんなに安くてもバーゲンブックには手を出さないことにしている。
同じ本をつくる側の人間として、出版社(版元)のプライドを守りたいからだ。
バーゲンブックは、
版元が意図的に再販価格を非再販価格にした本のこと。
古書ではない本が、正価から安い価格設定で売られる本をさす。
なんらかの理由で、倉庫に眠る断裁処分になりそうな本の再出発を
価格変更で見出そうとする版元たちの涙ぐましい努力なのだ。
ええい! もはや里親気分。ここは買うしかないでしょ。
「みんな、ウチへおいでっ!」とばかり、ばばっとカゴへ詰め込んで、
バーゲンブックではないが、大手中古書チェーンもよくみかける。
こちらは、古物商に属する。いったん購買された本を利用者から購入して
リサイクル販売するもの。
リサイクル販売するもの。
このテの書店が神田古書店街の「古本屋さん」と違うのは、商品の価値観だ。
商品の状態は新品に近ければ近いほど価値が高い。
前世紀に刊行された文豪の全集が、
1冊105円なんてとんでもないタグを付けられて店外の棚に並んでいたりする。
ちょっと、(お店の)オニイサン! これ初版なんですけど・・・(関係ないみたいだな)。
1冊105円なんてとんでもないタグを付けられて店外の棚に並んでいたりする。
ちょっと、(お店の)オニイサン! これ初版なんですけど・・・(関係ないみたいだな)。
老舗出版元の新書シリーズも然り。えーっ! これはないだろう。
著者名ちゃんとみたのかな。みんな棚ざらしになってるなんてカワイソ。
ええい! もはや里親気分。ここは買うしかないでしょ。
「みんな、ウチへおいでっ!」とばかり、ばばっとカゴへ詰め込んで、
100円ショップ並の買い物になってしまった。
お得はお得だったのだが・・・。フクザツ。
2011年9月23日金曜日
Oh! Italiano♪♪♪♪
9月22日、江戸東京博物館(東京・両国)の「世界遺産 ヴェネツィア展」の
内覧会(本展は9月23日~12月11日)に出席。
ラグーナとよばれる潟にかこまれた街ヴェネツィアの歴史を
その最盛期の美術作品と資料で見せる展覧会だ。
ヴェネツィアは、ペトラルカ、バイロン、ゲーテ、シャトーブリアン、ワーグナー、
プルースト、モーパッサン、ジョルジュ・サンド、ダヌンツィオ、コクトー、
スタンダール、トーマス・マン、ニーチェ等、
多くの作家たちの心をとらえてきた魅力の街(共和国)でもある。
「生徒は多くて2人、持ち時間は1人1時間で終了は20時30分ころ」とふんでいたのだが。
内覧会(本展は9月23日~12月11日)に出席。
ラグーナとよばれる潟にかこまれた街ヴェネツィアの歴史を
その最盛期の美術作品と資料で見せる展覧会だ。
ヴェネツィアは、ペトラルカ、バイロン、ゲーテ、シャトーブリアン、ワーグナー、
プルースト、モーパッサン、ジョルジュ・サンド、ダヌンツィオ、コクトー、
スタンダール、トーマス・マン、ニーチェ等、
多くの作家たちの心をとらえてきた魅力の街(共和国)でもある。
本展の圧巻は、数々のテンペラ画。
各コーナーに、これでもか、と並ぶ職人たちの技の結集は、
数世紀経ったとは思えない色彩の鮮やかさと、板絵ならではの深みが
各コーナーに、これでもか、と並ぶ職人たちの技の結集は、
数世紀経ったとは思えない色彩の鮮やかさと、板絵ならではの深みが
じっくり味わえる。これは、別の機会にまたゆっくり見て回りたい。
某社で携わったビジュアル系ガイドブックを思い出し、
テンペラ独特のにおいに半ば酔いながら、しばし隣の国技興行を忘れた。
その後は、溜池山王へ。サントリーホールオペラ・アカデミー主催
「ジュゼッぺ・サッバティーニによる公開マスタークラス」聴講に向かった。
サントリーホール・ブルーローズ(小)、18時30分~。
これが、甘かった。45分のレッスンが3人分も続いた。しかも生徒によっては
1時間以上もかかってしまい、終了したのが21時20分すぎ。
その間休憩はたったの5分。
生徒は日本の優秀な若手ホープたち。最初はやる気まんまんだったのだが、
立て続けに何度もNGを出す師匠に「もう、かんべんして!」と言いたげな目が・・・。
おかげでギャラリーは、世界のテノールの軟口蓋を何度も拝ませていただいた。
これに幕間のワインがあれば、言うことなし! Italiano な1日♪♪
<本日のカタチ・両国>
![]() |
| お隣では2011年秋場所 |
| 水辺のまち江戸・両国でヴェネツィア展 |
2011年9月21日水曜日
タケミツに恋して?
図書館から借りた本の返却期限が迫っている。
『作曲家・武満徹との日々を語る』(武満浅香著/小学館、2006年)
1996年2月20日に死去した武満徹の妻・浅香さんに
小学館・武満徹全集編集長の大原哲夫氏がインタビューしたものだ。
対話型のテキストだからさらっと読めるかと踏んでいたら
これがなかなか深い内容で、欄外の註釈も読み応えがあった。
過去にその合唱作品を演奏した経験からだろうか。
自分にとって、武満徹(タケミツ)は意外と身近に感じられる現代の作曲家だ。
生前、何度か都内の有名ホールや、現代音楽のコンサートなどで見かけた。
多くの現代音楽とよばれる作品には
何調なんだかよくわからない、雑音と演奏音の区別すら不明な
「主張だけが命」のような音とリズムがあふれている。
それらは、
モーツァルトやブラームスのような甘美な旋律をもたないし、
チャイコフスキーやショパンの哀愁も感じられない。
コンサートホールの空間には、「わけわからん」音があちこちに
ほうりだされ、観客はその音の所在をつかむ余裕もなく
とまどうばかり・・・、というのが現実だ。
しかし、
タケミツ氏はそうしたコンサートによく姿を現した。
招待席での「オシゴト」であったかもしれないが。
全自由席のコンサートでは、たいてい最後列ド真ん中に鎮座されていた。
「きょうあたりは来ているはず」と思って、あたりを見回すと
あの火星人のような風貌が静かな存在感を示していて、
ちょっと面白くてちょっとほっとしたものだ。
さて、この本。
ファンとして垂涎ものといえるのは、写真。
娘を抱く姿、菜園での作業風景、数々の大物音楽家や
アーティストたちとのショットなど、
おそらくメディアに掲載されなかったであろうプライベートシーンが、次々と現れる。
本人が生きていたら
「(載せるのは)やめてくれよ」と言いそうなカットもあるかも知れない。
貸出延長してみようかな。
『作曲家・武満徹との日々を語る』(武満浅香著/小学館、2006年)
1996年2月20日に死去した武満徹の妻・浅香さんに
小学館・武満徹全集編集長の大原哲夫氏がインタビューしたものだ。
対話型のテキストだからさらっと読めるかと踏んでいたら
これがなかなか深い内容で、欄外の註釈も読み応えがあった。
過去にその合唱作品を演奏した経験からだろうか。
自分にとって、武満徹(タケミツ)は意外と身近に感じられる現代の作曲家だ。
生前、何度か都内の有名ホールや、現代音楽のコンサートなどで見かけた。
多くの現代音楽とよばれる作品には
何調なんだかよくわからない、雑音と演奏音の区別すら不明な
「主張だけが命」のような音とリズムがあふれている。
それらは、
モーツァルトやブラームスのような甘美な旋律をもたないし、
チャイコフスキーやショパンの哀愁も感じられない。
コンサートホールの空間には、「わけわからん」音があちこちに
ほうりだされ、観客はその音の所在をつかむ余裕もなく
とまどうばかり・・・、というのが現実だ。
しかし、
タケミツ氏はそうしたコンサートによく姿を現した。
招待席での「オシゴト」であったかもしれないが。
全自由席のコンサートでは、たいてい最後列ド真ん中に鎮座されていた。
「きょうあたりは来ているはず」と思って、あたりを見回すと
あの火星人のような風貌が静かな存在感を示していて、
ちょっと面白くてちょっとほっとしたものだ。
さて、この本。
ファンとして垂涎ものといえるのは、写真。
娘を抱く姿、菜園での作業風景、数々の大物音楽家や
アーティストたちとのショットなど、
おそらくメディアに掲載されなかったであろうプライベートシーンが、次々と現れる。
本人が生きていたら
「(載せるのは)やめてくれよ」と言いそうなカットもあるかも知れない。
貸出延長してみようかな。
2011年9月19日月曜日
1989の記憶
地元の図書館では不要となった資料を
「リサイクル資料」として、利用者に無償提供している。
リサイクル棚におかれた資料や本は、好きなだけ「ご自由にお持ち帰り」ができるのだ。
資料は、古い地図、年鑑、ばらばらになったシリーズもの等々。
購入したが一度も利用がなかった資料や古くなった資料が多い。
先日、そのなかから1冊をえらびいただいてきた。
朝日新聞社刊「朝日年間1990」。
1990年刊とは、その前年1989年(昭和64年/平成元年)の出来事を収録した年鑑だ。
ぱらぱらとページをめくるうちに、立ち読みでは済まされない
妙な吸着力の強さに抗うことができなかった。
なによりも、東西ドイツがまだ存在していた。ソ連も。
日本のGNPはアメリカに次いで世界第2位だし、
公定歩合はちゃんと%らしい数字が出ている。
統計資料は単純な数字の羅列。
そのなかから歴史の1場面が見え隠れする。
そして興味深いのは、ページのあちこちにみられる広告欄。
老舗の会社から、いまは存在しない会社まで。
当時の最新商品は、いまや博物館なみ。
そうそう、1989年は消費税が導入された年でもあった。
ひとことで言い表せない、ヘンな年。
この年を経験したことは良かったのか、悪かったのか―。
いまだにわからない。
「リサイクル資料」として、利用者に無償提供している。
リサイクル棚におかれた資料や本は、好きなだけ「ご自由にお持ち帰り」ができるのだ。
資料は、古い地図、年鑑、ばらばらになったシリーズもの等々。
購入したが一度も利用がなかった資料や古くなった資料が多い。
先日、そのなかから1冊をえらびいただいてきた。
朝日新聞社刊「朝日年間1990」。
1990年刊とは、その前年1989年(昭和64年/平成元年)の出来事を収録した年鑑だ。
ぱらぱらとページをめくるうちに、立ち読みでは済まされない
妙な吸着力の強さに抗うことができなかった。
なによりも、東西ドイツがまだ存在していた。ソ連も。
日本のGNPはアメリカに次いで世界第2位だし、
公定歩合はちゃんと%らしい数字が出ている。
統計資料は単純な数字の羅列。
そのなかから歴史の1場面が見え隠れする。
そして興味深いのは、ページのあちこちにみられる広告欄。
老舗の会社から、いまは存在しない会社まで。
当時の最新商品は、いまや博物館なみ。
そうそう、1989年は消費税が導入された年でもあった。
ひとことで言い表せない、ヘンな年。
この年を経験したことは良かったのか、悪かったのか―。
いまだにわからない。
2011年9月16日金曜日
涙の表現
新聞のTV番組欄で、よくみかけるのが「○○も号泣!」という
バラエティ番組や情報番組のキャッチコピーの表現だ。
号泣は、その字のとおり、大声をあげて泣くこと、泣き叫ぶこと。
人の死にさいして泣くのは「哀号」という言い方もあるくらい、
悲しみをドラマチックに表現する涙といえる。
しかし最近ではそれが、「涙をぼろぼろ流して泣く」という場面にも
使われるようになっている。
文化庁が9月15日に発表した国語世論調査で、この「号泣」も、本来の意味と
ことなる使われ方をする言葉として例にあがった。
いったい「泣く」「涙」を表す言葉はどれくらいあるのだろうか。
類語辞典(講談社)によれば、形容詞も含めるとざっと160種。
号泣、慟哭、落涙、感涙、むせび泣く、忍び泣く
さめざめ、しくしく、はらはら、ぼろぼろ、めそめそ、わんわん、くすん、うるうる・・・。
それらを全部「号泣」のひとことで言い切ってしまうのは
乱暴なセンスとしか言いようがない。
貧相な表現力は、デジタル放送もカバーできない。
ホントに情けなくて泣きたくなってしまう。
バラエティ番組や情報番組のキャッチコピーの表現だ。
号泣は、その字のとおり、大声をあげて泣くこと、泣き叫ぶこと。
人の死にさいして泣くのは「哀号」という言い方もあるくらい、
悲しみをドラマチックに表現する涙といえる。
しかし最近ではそれが、「涙をぼろぼろ流して泣く」という場面にも
使われるようになっている。
文化庁が9月15日に発表した国語世論調査で、この「号泣」も、本来の意味と
ことなる使われ方をする言葉として例にあがった。
いったい「泣く」「涙」を表す言葉はどれくらいあるのだろうか。
類語辞典(講談社)によれば、形容詞も含めるとざっと160種。
号泣、慟哭、落涙、感涙、むせび泣く、忍び泣く
さめざめ、しくしく、はらはら、ぼろぼろ、めそめそ、わんわん、くすん、うるうる・・・。
それらを全部「号泣」のひとことで言い切ってしまうのは
乱暴なセンスとしか言いようがない。
貧相な表現力は、デジタル放送もカバーできない。
ホントに情けなくて泣きたくなってしまう。
2011年9月15日木曜日
的、的、的
職業柄、“だれでもわかりやすい”かどうか、気になるようで。
先日、添付ファイルで送られてきた某「提案書」にはいろいろと
異議申し立てをしてしまった。
気になったのは、
「対△△的には、◎◎◎的であり云々」という表現。
さらっと流し読みしたときには、あまり目立たなかったのだが、
たまたま発見した誤植から、よく読み込んでみると・・・さっぱりわからない。
そして、主語と目的語のない文章。
え、えーっ?
だれが、いつ、なにを、どうすりゃいいんだい?
文末には(← けっこう厳しい?)などと、起稿者のひとりツッコミも入っている。
おいおい。
社会的☆にはそれなりに地位のある人たちが起こしたものであるだけに、
この「あいまいさ」はないでしょ。
・・・てなわけで、煙たがられること覚悟で、校正、もとい校閲原稿を返信した。
☆えー、この場合の「的」の使用は適正ですよ。念のため。
先日、添付ファイルで送られてきた某「提案書」にはいろいろと
異議申し立てをしてしまった。
気になったのは、
「対△△的には、◎◎◎的であり云々」という表現。
さらっと流し読みしたときには、あまり目立たなかったのだが、
たまたま発見した誤植から、よく読み込んでみると・・・さっぱりわからない。
そして、主語と目的語のない文章。
え、えーっ?
だれが、いつ、なにを、どうすりゃいいんだい?
文末には(← けっこう厳しい?)などと、起稿者のひとりツッコミも入っている。
おいおい。
社会的☆にはそれなりに地位のある人たちが起こしたものであるだけに、
この「あいまいさ」はないでしょ。
・・・てなわけで、煙たがられること覚悟で、校正、もとい校閲原稿を返信した。
☆えー、この場合の「的」の使用は適正ですよ。念のため。
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